映画『セッション』
いろんな趣味に手を出しては三流のままズルズル続ける、そんなぼくですが、
ほぼ手を出さないのが読書、映画。
小説を最後に読んだのはいつだったか・・・。
読書感想文で強制的に、というのを除けば人生で50冊も読んでないのではないかと。
読書というのはどうも世間的には絶対正義のようで、
読まないのは薄っぺらい人間じゃーという雰囲気を感じつつ。
確かに自分自身でも薄っすい知識でベラベラ調子乗ってしゃべってるなーと思うことはあって、
じゃあ読んだらええがな、と言われても、
めんどくさいねーん (´・ω・`)
集中力ないねーん (´・ω・`)
小説がアカンのかね。谷崎潤一郎『陰翳礼讚』、和辻哲郎『古寺巡礼』あたりは好きです。
枯れたエッセイ、なんていうジャンルはきっとないけどそのあたりはまだいけるのかもしれません。
まぁそれでも相当めんどくさいんですけどね。
映画の話に移ります。
映画を最後に観たのはいつだったか・・・。
テレビでやるときはとりあえず録画して、したままか、稀に日の目を見ることがあるか、という感じ。
とにかくお手軽に済ませたいんでしょう。
物語を楽しみたい、知識を得たい、しかしそれ以上にめんどくさい。
人としてだいぶグレードの低い発言やなぁとは思いつつ。
で、そんなぼくがようやく重い腰を上げて映画館に足を運ぶことになったのが
この『セッション』(原題『WHIPLASH』)。 公式サイト(いきなりyoutube流れますので音量ご注意)
主役がドラマーで、しかも世間の評価が高いとなるとさすがに食指が動きます。
STORY(公式サイトより引用)
名門音楽大学に入学したニーマン(マイルズ・テラー)はフレッチャー(J・K・シモンズ)のバンドにスカウトされる。
ここで成功すれば偉大な音楽家になるという野心は叶ったも同然。
だが、待ち受けていたのは、天才を生み出すことに取りつかれたフレッチャーの常人には理解できない〈完璧〉を求める
狂気のレッスンだった。浴びせられる罵声、仕掛けられる罠…。ニーマンの精神はじりじりと追い詰められていく。
恋人、家族、人生さえも投げ打ち、フレッチャーが目指す極みへと這い上がろうともがくニーマン。しかし…。
※ここから先、物語の核心に触れる部分がありますのでうにゃうにゃ
といういつもの文章がありますが、ぼくの感想なんていくら読んでも作品の鑑賞を阻害するものにはならないと思います。
でも一応いっぱい改行しとこう。
見終わった瞬間のぼくは
へ(・∀・)?
え(・∀・)?
なになに(・∀・)?
・・・でした。
要は、オチがよくわからない。終わっても終わりきれない。ノーカタルシス。としか解釈できませんでした。
問題が出された時
天才は瞬時に答えを出し
秀才は考え始め
凡才は答えを見る
のだそうで。
凡才のぼくは帰ってからWeb上に転がってる映画評を読んでみました。
割れてます。評価割れまくりです。
中でも絶賛する映画評論家の町山智浩と、酷評するミュージシャン菊地成孔が
マジ切れコールアンドレスポンスを晒していらっしゃいます。
ぼくとしては、あれ、この先どうなるんやろう、え、そうなるん、うへぇ、あれ、もうすぐ終わる時間やん、
と、2時間を満喫することはできたのかなと。菊地成孔が「ドラムが下手すぎる」とか
「バディ・リッチを敬愛してるのに一切バディ・リッチらしい叩きを見せない」というのは
まぁまぁあるとして、ストーリー展開としてはいいのだけれど、ただ、オチない。
でも映画にオチは必ず要るのかなのかというとそんな決まりはないし、?のまま終わるのもアリなのかと。
そもそも映画評論家とジャズ専門家では目線が違うし、ここは相容れないのでしょう。
ぼくは映画を観ないちょっと音楽が好きな人なのでまた違う感想なのですが。
映画を観て、批評を読んで、考えた結果、
結構クズな二人が音楽をネタにやりあって、そこで深い関係が築かれるわけでもなく
最後までクズでメタメタにして終わらせた、というまとめ。
わからないものがわからないまま終わっていくというフラストレーションを抱えたままでありつつも、
展開には引き込まれたのでいいんじゃないの、というとこです。
ぼくくらいでいいので多少は音楽の知識があったほうが楽しめます。
汚い英語がいっぱい覚えられます。
ニコルがかわいい。
慣れない映画評なんてこんなもんだわ。
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